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佐伯格五郎
(JCIIフオトサロン・キユレーター・日本カメラ博物館運営員)



第2回
ライカのめまぐるしい改良



 前回ライカが発売されるまでを紹介したがこのライカ沍^(日本やアメリカではA 型)は1925年、130番から始まった。最初はレンズにライツ・アナスチグマット(144 台)、後にエルマックス付(713台)で986番まで作られたという、そして翌年1926年 に987番から2,510番まで、最初はエルマックスレンズ、後にエルマーレンズ付となっ て発売された。1925年発売最初のライカ1型はシャッター速度がZ(B)、1/25、1/ 40、1/60、1/100、1/200、1/500秒の7段階であったが、ボディー番号626番から、シ ャッター速度はZ(B)1/20、1/30、1/40、1/60、1/100、1/200、1/500秒の8段階 に変わった。またレンズもボディー番号400以降フィート目盛も作られ、これはもっ ぱらアメリカ向けに輸出されている。
 ライカ沍^エルマーレンズ付は1926年〜1936年までの11年間に56,548台生産された 。そしてボディー番号47,000番からレンズに被写界深度もついた。また1930年から19 32年までの3年間にヘクトールレンズ(50ミリF2,5)付も1,330台作られた。
 ライカ沍^の総生産台数は59,014台、このうち、金属部を金メッキしたラクサス・ ライカ(ゴールド)95台、ボディー革張り部を子牛の黒もみ革製としたデラックス・ ライカ180台が含まれている。
 ライカ沍^が誕生したいきさつからも分かるように、ライカの基本的姿勢は、使用 者の要望に“いかに答えるか”ということにつきるようだ、だから最初から距離計、 現像タンク、引伸機、顕微鏡撮影装置、接写装置、複写装置、撮影ずみフィルム保存 アルバム、保存箱、フィルター、横向きファインダー、パノラマ撮影台、ステレオ撮 影台、水準器など次々とシステムを広げていったのである。
 またカメラ本体も、当時のフィルム事情ではスローシャッターが不可欠となれば、 コンパーシャッター付ライカ(日本ではB型)を供給する。しかしこれは失敗であっ たため、1,607台(旧、新コンパー合わせて)しか作られていない。この失敗はシャ ッターが距離合わせをすると、レンズごとぐるぐる回わってしまうためである。しか しレンズ交換可能としたライカI型(日本ではC型)が出現するに及んで、始めて画 角の変化や多様な表現力を身につけるようになったのである。当初はライカが1台1 台カスタムメイド的な要素が多かったため、交換レンズも専用の交換レンズとしてボ ディー番号の末尾3ケタを同じものにして、そのボディーにはその番号のレンズしか 使えない不便さがあった。その後ボディー番号55,404からレンズマウントにOマーク をつけ、どのカメラでも交換レンズが自由に使えるよう工夫され、始めてシステムカ メラとして確立したのである。