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北欧フォト紀行3

ラップランドのサーミ人漁師

中野 正貴



 イナリ湖(Inari jarui)はノルウェーとロシアの両国境に接したフィンランドの最北部に位置する国内で3番目に大きい湖(面積1386平方キロメートル)である。そしてすでに北極圏内となるその周辺は「ラップランド」と呼ばれ、スカンジナビア半島北部、ロシアのコラ半島にまたがる凍てついた広大な大地を連ねている。この極寒の地イナリ湖周辺で、古来より夏、冬に漁場を移しながら漁を営んできたのが、通称「イナリラップ」または「湖ラップ」と呼ばれるこの地の先住民たちである。「ラップ」とは本来白人側からの蔑称であり、現在では彼ら自身がそう呼ぶのにならって「サーミ」と呼ぶのが一般的である。現在ラップランドに住むサーミの人口は、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの合計で約5万人である。
 「ラップランドのサーミ人」と聞くと、トナカイ遊牧民のイメージが強いかもしれない。実際のところ、16世紀以前の彼らの生活様式は、狩猟と漁を中心にした半遊牧的なものであった。しかし、今日では、全サーミ人の5分の4がトナカイ飼育活動以外の第1次産業に就いて定住者となっている。現在よく知られている彼らのトナカイ飼育は、農耕やウシ・ヒツジの牧畜をも阻む苛酷な気象条件下にあるこの地で、かつての野生トナカイの狩猟の流れを汲んだ唯一の「生産」活動とみなされている。
 ここで紹介するイナリ湖でみられるような湖に網を張って行う漁もまた、トナカイ飼育活動同様サーミ人にとって重要な生業である。そしてこの漁は、「採集」や「狩猟」と同じくあくまでも白然の高い生産性に依存した「採捕」活動なのである。

・イナリ湖のサーミ人漁師
 昨年(1995年)、猛暑にあえぐ日本を離れフィンランドを訪れたのは、すでに夏も終盤にさしかかった8月のことだった。首都へルシンキから夜行列車に乗って約13時間。すぐそこはもう北極圏というラップランドの玄関ロバニエミに到着。ここからさらに300キロほど北上したところにあるイナリの町までは、鉄道のないラップランドでの唯一の交通手段である通称「郵便バス」が郵便物と一緒に運んでくれる。現在フィンランドに住むサーミ人口は約5700人。その9割がラップランド北部に位置ずるイナリ郡に集中している。そのなかでも最も多い約2,000人がこのイナリに住んでいる。国道沿いの湖畔にある町の中心に到着すると、さっそくサーミ人漁師について現地の人たちに尋ねてまわった。そして「イナリ湖で現在も漁を続けている漁師」として、ヨウニ=アイキオさんの名が真っ先にあがった。そして、すぐ彼の奥さんと連絡をとり、町の中心から6キロほど離れた湖の奥にある彼の家をめざして自転車を走らせた。
 湖のほとりに建つヨウニさんの家に着いたとき、すでに時計の針は夜7時をさしていたが、夏の北極圏では昼間とまったくかわらぬ太陽が樹木の緑をまぶしく照らしていた。ふと家のほうに目を移すと、窓にひょこっと3つの小さな顔が現れた。ヨウニさんの6人の娘さんのうちの3人が愛くるしい笑顔でわたしを出迎えてくれた。8時過ぎになって、夜の出漁準備のためヨウニさんがベッドから起きてきた。わたしは寝起きのヨウニさんにお願いし、船に同乗させてもらうことにした。

・湖での“タイメン”漁
 自宅前のプライベートハーバーから出船した小型ボートは、そのまま手前の沖の漁場へ向かった。ヨウニさんがおこなっている漁法は「ペサ(Pesa)」とよばれる刺し網漁である。この漁は五枚の刺し網(縦5メートル、横30メートル)を湖の表層に「巣(Pesa)」を作るように五角形に配置したものである。定置網、張り網、えりなどの移動してくる魚を待って獲る仕掛けと、刺し網漁法を組み合わせたものと考えればよい。現在ヨウニさんは、自宅前の湖の沖合い約60メートル付近に二つのペサを設置している。そして午前と夜の1日2回、刺し網にかかった魚を取り上げにいくのである。岸を離れて数分と経たないうちに漁場に到着した。ボートが網に近づくとエンジンは切られる。オールを静かに操りながら網を1枚づつていねいに引き上げてまわる。しばらくしてヨウニさんの表情がほころんだ。獲物だ。勢いよく船内に投げこまれた「タイメン」と呼ばれるその魚は、なんとブラウントラウトだった。夏にはこの「タイメン」と「シーカ(ホワイトフィッシュ)」が主に獲れるという。しかし、このの晩に網にかかった獲物は、わずか3尾の「タイメン」だけであった。夜10時過ぎ、漁を終え陸に上がったころ、ようやくあたりが暗くなり始めていた。はらわたを取り除かれた獲物は湖の水できれいに洗われ、そのまま自宅の冷凍庫に収められ、出荷のときを待つことになる。

・フィンランドの釣りはライセンス制
 現在、イナリ湖で漁を行っている人たちは、ヨウニさんを含めおよそ20人。彼らのほとんどがサーミ人と考えられる。イナリ湖の場合、漁業権を取得できるのは岸辺に土地を所有している者に限られており、国有地である湖の周囲に私有地をもっているのはほとんどサーミ人だからである。5月、湖の表面を厚く覆っていた氷が解け去ったあと、湖のあちこちに無数の網が仕掛けられる。そして、イナリ湖の野生種である「ニエリア(北極イワナ)」や「シーカ(ホワイトフィッシュ)」をはじめ、「ロヒ(タイセイヨウサケ)」「アッハベン(パーチの一種)」、そして「ハウキ」とよばれる巨大なパイクまで実にバラエティーに富んだ魚類相に支えられ、彼らの漁は最盛期を迎える。一方、多くの観光客がイナリ湖の豊かな自然を求めて国の内外からやって来る。フィンランドでは「森林権」とよばれる法律によって、私有地を含むすべての森が一般の人々に解放されている。そして、そこに自生する木の実やキノコも自由に採集することができる。しかし、魚だけは対象に含まれていない。釣りをする場合にはライセンスを取得しなければならない。イナリ湖の場合は、国が発行するフィンランドを南北地区に分けた北極圏側のライセンス(最寄りの郵便局で購入できる)と、地元観光局などが発行するイナリ湖地区のライセンスが必要になる。ちなみに、イナリ湖は15キロオバーのレイクトラウトなどフィンランド国内の記録が次々と飛び出すラップランド屈指の釣り場として、多くの釣り人から注目を浴びているようである。
イナリ湖では、岸からのルアーフィッシングやフライフィッシングは禁止されているため、釣りはボートを借りて行われるが、ボートを所有できるのは湖の漁業権をもったサーミ人に限定されている。また、夏のハイシーズンには彼らの所有するキャンプ小屋も釣り客などで満杯状態となる。したがって漁業権をもったサーミ人の中には、夏はいっさい漁を行わず、観光業だけで生活する人も増えている。とはいえ、いずれにしてもイナリ湖で純枠な漁だけで生計をたてていくことは難しいようである。専業漁師の数も昔と比べてずいぶん少なくなり、かつては湖で水揚げされた多くの魚を卸していた町の魚問屋も数年前に姿を消したという。湖とのかかわりそのものが産業化していくにしたがって、みずから生業としての漁に見切りをつけたサーミ人も多いようだ。ただ、イナリ湖やノルウェー国境のテノ川で漁獲される「ロヒ(タイセイヨウサケ)」はブランド化され、通常の10倍の値がつき、サーミ人口が多いこれらの地域の漁業権は一般のケースと別扱いになっていることから、「漁」そのものの存続が危ぶまれることはないようだ。

・サーミ語の特徴
 現在のラップランドでは、トナカイやオーロラなどとともに、水や森、魚や獣たちを育む豊かな自然そのものを重要な資源とした観光産業が成り立っている。そして、この土地に住むサーミ人もまた、独自の産業社会の中に生きているともいえる。彼らの社会も変化してきている。歴史的に彼らは遊牧民として北上を続けてきたわけだが、結果としてラップランドのサーミ人口は増加し、現在のトナカイ産業ですら本来サーミ人が生活してゆくのに必要とされる頭数(1人当たり100頭)を、現在は維持できない状況にある。町にはスーパーマッケットがあり、ふつうの食料品がいつでも手に入るようになった。今の彼らにとって「生産」「採捕」が必要な活動ではなくなっているのかもしれない。しかし、その「生産」「採捕」は、食料を確保するためだけの行為ではない。現代のサーミ人がトナカイの所有者になることを懇願し、放牧や漁をできない人たちがたった1頭のトナカイでも持ちたいと願う理由は、「生産」「採捕」が彼らのアイデンティティの象徴であり、文化を伝承する手段だからである。口承や歌舞などでサーミ民族の歴史や伝統を伝えてきたサーミ語(民族の約3分の2が話す言語)は、トナカイ飼育や漁にかかわる言葉が多いことが特徴である。例えば「ロッサ(Luossa)」とは「サケ」の総称を表す言葉であり、サーミ語ではさらにこれを雄雌、成長段階によって、少なくともオスのサケで5段階、メスで2段階に呼び分けるという。彼らの言語や文化の発生、形成そして継承は、すべて「狩猟」や「漁」から得られており、自然の循環に対する深い理解に根差したものといえる。
 そして北欧の非先住諸民族による天然資源開発に脅かされ、同化定住政策や差別にさらされてきたサーミ人は、みずからの文化と土地を守る強固な決意により、民族としての新たな権利の「回復と保護」にむかって努力を続けている。

※本稿は「フライの雑誌」(l996.季刊第33号)に掲載された内容の一部を改編したものです。