フォトエッセイ

聖 地 巡 礼

山形晴美


第3回 

 夏休みの日中の浦安駅周辺は、人が行き交い賑やかではあったがかつての頃程の活気はなかった。かつてとは、東京ディズニーランドが出来た頃の事。ここがその為の基地だったことから、付近には飲食店が立ち並び、人々がぞろぞろと同じ方向に向かって歩いて行き、タ方にはどこの飲食店も帰りの客で盛況らしい光景があちこちでみられた。しかし、JRの湾岸線の出現でここで降りる人は激減した。私は、かつての行列で賑わった通りを、今は駐車場や空き地になってしまった店舗跡を両側に見ながら目的の場所に向かって歩いた。
 猛署の中、団地の最上階まで階段を上がると、海からの風なのだろうか、建物の中を吹き抜ける風が心地良かった。玄関を入ると、待ち構えていたらしく彼女は私の顔を見、全身を引きつらせて立て続けに喋り始め、フーッと一息ついてから満面の笑みを浮かべた。話したいことが山程あったのだろう。気持ちがよく理解出来た。
 彼女は重度の脳性マヒで生まれつき不自由な身体である。何一つ自分ひとりですることは出来ないが、友人やボランティアの人達と良い関係を築き、援助してもらいながら一つ一つ自分の夢を実現してきた。私達なら容易に出来ることでも彼女達にとっては非常に困難な場合が殆どである。お金も時間も労力もかかるのが常。中でも人を確保すること、理解してもらうことが最大の難関と言ってもいい。少しづつではあるが、心の問題に気づき始め、価値感も多様化したこの社会は、障害者の歴史の中では今までに無く生き易い世の中なのかもしれない。それでも自分の努力たけでは夢を実現することは出来ない。
 彼女はこのあいだ旅した南の島の思い出を熟っぽく語った。何かをやり終えたという充実感と世界が広がっていく開放感が伝わってきて、私まで楽しくなってきてしまった。「生きる」ということは「生きていく」ことなのだ。
 彼女には今、密かで壮大な次の夢がある。それは「OOする」ということ。秘密だそうなのでここに書くことは出未ない。但し、ヒントは親から旅立つこと。あっ、言ってしまったかな。