フォトエッセイ

聖 地 巡 礼

山形晴美


第2回 富士の裾野の理想郷

 中央高速を河口湖インターで降り、山中湖方面に向かって走る。富士が間近にせまる。回りには、ホテルや別荘、キヤンプ場が点在しているが、国道を一歩入れば静かな村の生活がある。富士の裾野のその美しい村の中に、理想郷のようなコミュニティーがあった。たくさんの人達が色々な生産活動を行ないながら仲間と共に生活を送っているそこは、知的ハンデを持った人達の為の施設であり一つの共同体である。機会があって、私はここを訪れることになった。
 広大な敷地は山麓の自然に囲まれ、東海自然歩道が散歩道になっている。後ろではいつも霊峰富士が優しく見下ろしている。このコミュニティーを知った後、自分の価値感が少しづつ変わっていくのを感じていた。自分の回りの生活と彼等の生活を比較した時、どちらが正常な生活なのか分からなくなったからだ。
 本来彼等の生活は、地域社会の中にあって、社会に適応していけるようになることが重要な事であり、幸福に繋がるのではないか、と私は考えていた。しかし、果たして現実の社会がノーマルであるのかどうか疑間だった。この整然として秩序だった社会の中で生きていくことは、私達だって難しい。自分達と価値の異なる者、利益にならない者は排除していき、自分の回りは厚いシェルターのようなもので守り、無駄な衝突は避けて通る。合理的なことを良しとし、非合理的なことには価値を認めない。そんな所で彼等に生きていけと言うことは、とても残酷な事のような気がした。彼等も生身の人間である以上、そこにはもちろん善も悪も存在するだろう。しかし、混沌としたものが渦巻いている彼等の社会は、全てを包んでくれる場所でもあるのではないだろうか。混沌としたものが存在するそこには、ノスタルジックな普通の暮らしがあるように思った。
 写真家ダイアンアーバスは、フリークスを撮り続けながら自分の居場所を求めて苦闘し、向こう側に行ってしまった。私達もきっと自分の居場所を採しながらうろうろとさ迷い続けているのだろうと思う。
 富士の裾野に、秘密の理想郷をひとつ見つけたような気がした。